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2014年4月7日月曜日

淡墨桜に会いに行った

1500年を生き抜いてきた淡墨桜(うすずみざくら)に会ってきた。根尾川の上流、清流に育まれた根尾谷(ねおだに)の山間(やまあい)に佇む。岐阜県本巣市、大垣から発車する樽見鉄道の終着駅・樽見からほど近い。

淡墨桜は滝桜(福島県三春町)、神代桜(山梨県北杜市)とあわせて日本の三大桜と称せられる。遠目には時を超越したかのように神々しく見えるが、近づけば幹はぼろぼろに傷み、枝は折れ、満身創痍の巨体は人々の支えがなければ生きていけない。それでも可憐な無数の花を咲かせ、見るものに幸せな一時を与えてくれる。

4月5日に満開となり、訪れた6日はまさに絶頂。とはいえ、華々しさを誇るでもなく、1500年の営みを静かに投げかけてくれた。

淡墨桜遠景
2本並んだ右側が淡墨桜
左側少し奥の桜は、淡墨桜の子供
正面から見たところ。
子供とかぶる。












横から。逆光になって花びらが飛んでしまう。
幹が痛々しい
















濃尾地震の根尾谷断層を見る


桜見物の帰りに断層見学に立ち寄った。実は根尾谷は日本最大の内陸型地震「濃尾地震」(明治24年10月20日早朝)の震源地なのだ。当然のようにあちこちに断層があるのだが、一番知られているのが水鳥(みとり)地区にある上下最大6メートル、水平横ずれ3メートル、長さ1キロメートルの断層崖。「根尾谷断層」として国の特別天然記念物に指定されている。いや、すさまじいことです。

もう今では、人の手で盛り上げたようにしか見えない崖が連なる「根尾谷断層」
断層の記念碑が建つ
見学用の説明版を設置してある
写真撮影用の段々まである
断層は道を斜めによぎっており、道を隔てた反対側の断層の上に断層観察館がある。
中に入ると地層がどうなっているのかがわかるようになっている。





2011年5月10日火曜日

ヴァンジ彫刻美術館の庭でクレマチスが咲く

5月9日、静岡県長泉町のクレマチスの丘へ行ってきました。愛鷹山の中腹を造成して、いくつかの美術館やスルガ銀行の諸施設、住宅地を開発したあたり一帯をクレマチスの丘と呼ぶようです。スルガ銀行関連の施設がやたらとあるので、銀行さんの縄張りかもしれない。

そのなかのひとつの施設がクレマチスガーデンで、なかにヴァンジ彫刻庭園美術館があります。というか、ヴァンジ彫刻庭園美術館の庭に、たくさんクレマチスを植えているといったほうがしっくりきます。ガーデンのテーマカラーといっていいのかな、は白で、白い花が多いのですが、平地では満開のクレマチスも、まだちらほらと咲いている程度で残念でした。それもあって、なおさらクレマチスガーデンという印象は薄く、彫刻美術館の存在感が大きいのです。

なにはともあれ、空間も美術館もとてもいい気分になれるところなので、お薦めです。ぜひどうぞ。三島駅から無料のシャトルバスが出ています。レストランの評判もよいようです。近くにはベルナール・ビュフェ美術館、井上靖文学館もあります。

 ガーデンの入り口にも作品が
白いツツジに白いクレマチス
屋外にも作品が点在
長方体の四角い穴が美術館の入り口
美術館の裏側の庭
生け垣沿いにずらりとクレマチスが植えられている、花はまだね
庭園の端にあるホワイトガーデン、白いクレマチスを集めている

2010年9月3日金曜日

犬の狛犬を探し求めて久留里城

話は、日付がずれっぱなしです。
(8月29日)蕎麦屋の「吟そば凛」を出てから大多喜街道を少し北上し、三又交差点〜黒原で国道465号線へ出て、上総中野のちょっと先で県道32号線に。小湊鉄道に沿ってしばらく走ってから、月崎で西へ向かうと久留里に着きます。

久留里に来たのは、犬の狛犬が久留里城趾の神明社にあるという話を聞いていたからです。まずは天守目指して登山。広い道があるのですが、車は通してくれません。本丸まで標高145m。駐車場が55mですから、差し引き90mです。疲れた体にムチ打って、一生懸命登ります。親子連れがけっこういるなあ。神明社、神明社と探しながら登ったのですが、ほかの神社はあったのに、神明社は見当たりません。とりあえず、天守(1979年築の模擬天守)を見学。二の丸跡にある城趾資料館に寄って、神明社の所在を尋ねてみました。係員のお嬢さんが一生懸命探してくれました。なんとかなりそうです。












なんと神明社はふもとのほうでした。城趾の駐車場にはトンネルを抜けて行くのですが、そのトンネルの手前のすぐ脇に登り口がありました。
「二の丸への旧道」と書いてあります。かってはこちらがメインストリートだったわけです。暗くて、ほとんど人が通らないのでしょう、草が生い茂ってます。天守のほうの脇道に「まむしに注意」なんて書いてあったので、ど、どうしましょう。


暗い薮を抜けていくと、すぐ近くにありました。うち捨てられたような小さな神社って、なんか不気味ですよね。そうなんです。暗いんです。デジカメって不必要に明るく写ってしまいます。情緒が台無しです。



ご対めーん。こんにちワン。うーん、この犬はなんだろ?洋犬みたいな垂れ耳です。目黒不動の犬も垂れ耳ですが、こっちのほうが今に近い感じです。オオカミでも野犬でもありません。残念ながら制作年がわかりません。









尻尾はぐるぐると2重巻き。首に巻いているのはなんだろう。首輪とは言わないだろうし。これ困るんです、名称に。

もう1体は、吻(ふん)が大きく欠けてます。いたわしや。












最後に、謎の生き物です。「きみぴょん」、はやりのユルキャラですねって、まだはやってるのかな。

2010年9月2日木曜日

安房と勝浦の始まり物語

話は前後続きですが、「吟そば凛」へ行く前に、勝浦の港を望む遠見岬神社(とみさきじんじゃ)に寄ってみました。「かつうらビッグひなまつり」の舞台として知られる神社です。宮司さんにお話を聞いたところ、神社には古代に四国の阿波(あわ=徳島)から来て南房総を開拓した神が祀られているとのこと。阿波から来たので南房総をあわ=安房と呼ぶようになったのだそうです。知らなかった。
宮司さんによれば2600年ぐらいの歴史があるとのことですが、これは神社なだけに皇紀のことを意識しておっしゃったことでしょう。そこまでは古くなく、ヤマト王権成立後(4世紀以降)のことでしょう。

帰宅してから調べたところ、阿波を開拓した阿波忌部(あわのいんべ)氏が新天地を求めて館山に上陸。そこに安房神社(安房一の宮)を建て、千葉県南部を開拓した。阿波忌部の一族である勝占麻植(かつうらのまうえ、と読んででいいのかな?)が拠点を置いたところが勝浦となり、一族が奉祭する天冨命(あめのとみのみこと)を祀った神社が遠見岬神社となったわけです。神社はかっては岬の先端にあったのですが、江戸時代(1601年=慶長6)に津波に流され、2度の遷座を経て1659年(万治2)に現在地に鎮まったそうです。江戸時代までは「冨大明神」と呼ばれ、明治政府の命により祭神が天冨命となりました。冨大明神は「とみだいみょうじん」と読むのでしょう。遠見岬の遠見は、富からきたのかな。


一の鳥居です。参道の奥にすぐ最初の石段があります。











この最初の60段の石段が「かつうらビッグひなまつり」の舞台です。びっしりと雛人形が並びます。といっても、見たのはTVでだけです。






拝殿(左手前)と幣殿で繋がった本殿