2011年8月24日水曜日

播州犬寺に詣でる

田舎からの帰り途に、播州犬寺に詣でてきました。
場所は姫路の北およそ35km。JR播但線の寺前駅(兵庫県神崎郡神河町)で降り、バスに乗り換えて10分、神姫(しんき)グリーンバス粟賀営業所まで行きます。そこから参道を歩くのですが、実は寺前駅の観光案内所で出会った神河町商工会の副会長さんに、車で山門まで連れて行っていただきました。感謝です。


犬寺の正式な名前は、金楽山法楽寺(兵庫県神崎郡神河町中村1048)。十一面千手観世音菩薩を本尊とする高野山真言宗の寺です。なんだかお宝ざくざくで、楽できそうな名前ですが、石段を250段上らなくてはいけません。

本堂前の案内板に犬寺の縁起が記されていますので、要約して紹介します。
「蘇我入鹿の召集に応じて、神崎から枚夫(ひらふ)という者が都に出征しました。枚夫が不在の間に、その妻と留守居役が不倫関係になったのです。帰ってきた枚夫を留守居役が殺そうとしたのですが、危ないところを2頭の愛犬に救われました。「この2犬を我が子とし、全財産を譲る」とした枚夫ですが、寿命の短い犬のほうが早く亡くなります。枚夫は2頭の死を悼んで伽藍を建立し、千手観音の像を安置して冥福を祈りました」。と、まあこれが寺ができたいきさつというわけですが、少し尾ひれがついています。その後、「三度も大火に襲われるが、伽藍が焼けなかったのは千手観音のおかげであり、そのことが桓武天皇(782ー805年)の耳に入って官寺に勅された」と。

この犬寺縁起は、仏教史書の元亨釈書(げんこうしゃくしょ、1322年)に書かれたままを紹介してあります。蘇我入鹿が枚夫を召集したのは上宮王家(聖徳太子の家系)を滅ぼす(643年)ためですから、飛鳥時代の半ばのこと。飛鳥から平安時代初頭のロマンチックなお話ですが、仏教の宣伝広報のために書かれたのでしょう。伽藍を建てたというだけなら話の前半だけでいいのですが、「官寺に勅された」ところに意味があります。官寺でなければ寺を名乗れませんでしたから。

ちょっと気になるのは、蘇我入鹿が滅ぼされた時に、上宮王家襲撃に対するおとがめがなかったのかということ。あれば官寺になぞなれるわけがないから、なかったということにしておきましょう。上宮王家は謎が多い。

1673年に描かれた「犬寺縁起絵巻」(同じく案内板より)。右端に2頭の犬がいます。両方とも黒ですが、寺には黒と白と伝えられているそうです。

犬寺の本堂。石段の両側に白(向かって右)と黒(左)の犬が座る。

 白です。台座には明治14年安置と書かれています。屋根をつけ、網で囲って大事にされています。

像の横には弓が置いてあります。白はオスです。

 正面から見た顔はこわいな

黒です


黒はメスです

 黒は矢をくわえています

伝説を描いた絵馬も奉納されています。

粟賀営業所近くの店で「犬寺もなか」の看板を見つけました。見つけたからには買うしかありません。黒白が本堂側から見た並びですね。 
普通のつぶあんが入ったもなかで、普通においしい食べられます。包装紙のデザインは、この上の本堂の写真そのまま。
石段とは違うだらだら坂の参道を降りてくると、この橋のたもと近くーといっても向こう側ですがーに出ます。越知川(おちがわ)にかかるこの橋は、もともとは「大橋」といったのですが、犬寺に因んで「観音橋」と呼ばれるようになりました。橋を通る道は「銀の馬車道」として観光売り出し中。明治時代に当地のさらに北にある生野銀山と姫路の播磨港を行き来する重要路として整備されました。石碑は旧但馬街道の道標(左)と橋の碑です。

播但線を走る「銀の馬車道」列車。寺前駅に停車中。この電車に乗って姫路に引き返しました。



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